もっと早く!
障がい者福祉の仕事をしていると
どうしても思ってしまうのが
もっと早く
もっと早く福祉の手が伸びていれば、
この人は
どんな人生を歩んでいたのだろうか
ということ
中には、大人になって
人と違うと気づいた人もいるし
人生を大きく変える衝撃を受けて
精神的に病んでしまった人もいる
周囲の理解がないばかりに
障がいに対する支援が受けられないまま
苦しい、キツい人生を強いられた人もいる
教育、療育が不十分で社会常識が乏しく
犯罪行為に手を染める人もいる
あの人にもっと早く福祉の手が伸びていれば
そう思わずにはいられません
で、
未成年の発達障がい者等への支援が
あまりにも足りていないことに思慮が及び
最近では、さいかいでも
未成年への支援を考える場面が増えています
「受け入れる」
さいかいのコンセプト
人と人としてただ向き合う
この当たり前のことが
出来ない大人がどれだけ多いか
出来る限りのことはしていきたいと
真剣に考えています
制度の狭間で苦しんでいる人は
まだまだ沢山います
さいかいとしては、
そのひとりひとりに手を伸ばしていきたい
その信念だけはこの手から放したくない
日々の支援の中で
ついおざなりになってしまいがちだけど
とても大切なところだと感じています
さいかいとは
グループホームさいかいのHPが休止中のため
こちらで少しさいかいのご紹介
グループホームさいかいは
もともと「共同生活支援住宅さいかい」として
博多区金の隈で開業しました
「受け入れる」をコンセプトに
ハウジングファーストを実践すべく
住居を整えて、居場所をつくってもらいたいと
運営しています
二軒目のグループホームとして
東区下原に
「グループホームさいかい香椎」をオープン
九産大のすぐ裏という立地もあって
精神保健福祉士や心理士など目指している
学生さんたちにもバイトで入ってもらいながら
少し賑やかな印象です
グループホームのお仕事は
家政婦さんの延長線上とか思われがちで
少し地味な印象なのか
求人を出してもなかなか来てくれません
でも、めちゃくちゃ面白い仕事です
入居者さんの人生の
ターニングポイントになるかもしれない
数年、数ヶ月に寄り添う
たった一言で人の人生を意図せず左右する
とてもクリエイティブな仕事だと思います
入居者さんたちにとって
ここに来てよかった
と心から思って頂けるように
人と人として、向かい合う
そこを大切にしながら
ただ寄り添うことで
人生の基礎を固めてもらいたい
その思いだけでやってます
グループホームって
住むにも働くにも
意外と楽しいところです
さいかい香椎求人中
障がい者福祉共同生活援助
グループホームさいかい香椎では
只今、求人中です。
①サービス管理責任者(候補)
サービス管理責任者研修は
会社負担で受けられます
②支援員(調理担当)
さいかいでは
日々の料理を入居者さんたちと作ってます
家庭料理で大丈夫なんですが
買い物から料理まで
手伝ってくださる方がいたらいいなぁと
考えています
一般支援員さんも募集中
日々のお世話をしてもらいます
さいかい香椎では
最近、未成年の入居者も増えていますので
保育士さんで、ブランクある方なんかも
一緒に働いてもらえたら助かります
条件面などは
別途、お問い合わせください。
グループホームさいかい香椎
092-205-2500 担当:管理者中川
「オープンダイアローグ」は日本になじむか?
対話は手段ではない。
それ自体が目的である。
治癒は副産物としてやってくる。
「オープンダイアローグ」
フィンランドで始まった
「開かれた対話」
新しい精神治療の考え方です。
本人を取り巻くあらゆる専門家
家族、そして何より本人が一緒に集まって
すべての人が対等な立場で専門的な意見をぶつけあう
病気について、問題解決の道筋、これからの人生の組み立て
あらゆることを相談・対話するのだと言います
日本では
本人のいないところで
ケア会議、支援会議として関係者が集まるのがほとんどで
医師が参加してくれることは非常にまれです。
多くの場合、医師と患者は対等にはなれず
病気のことを語るときに、
医療と福祉も対等とは言えない
こういう治療方針でいこうと言われれば
それにしたがうことになりがちです。
明確な治療方針を伝えてもらえることも少ないでしょう。
ましてや統合失調症の人なら
不安や幻聴や、意志薄弱・・・さまざまな要因で
こうしようと決めてもすぐに撤回したりと
医師や周囲を困惑させてしまうこともたびたびあります
そこで、ついつい本人をはずして概要を決めてから
本人に伝えるということをやりがちです。
最近では、本人を参加させようという動きはありますが
ある程度方針を持って、事前の調整ありきで
本人の「納得」を得る場という位置づけが多いと思います
日本のケア会議は建設的な意見のみならず
支援者たちが愚痴をこぼす場にもなりがちですから
本人のいないところでやってしまおう
そういう空気になってしまいます
そこに
「オープンダイアローグ」
参加者すべてが対等で
その場で結論を求めることなく
ただそれぞれの意見をぶつけあう
対話を先導、誘導する人間はおらず
議論がスムーズに進むように会話に介入する
ファシリテーターがいるだけで
相互理解に向けて議論を広げたり深めたりする
役割を担います
この場の目的は
それぞれの異なった理解をうまくつなぎ合わせ
共有することです。
合意や結論はこの過程から出る副産物として
もたらされるのです。
家族は家族
本人は本人
1個1個やっつけようとする感覚に近いかもしれません
しかし、それでは
家族が何に悩み、本人が何を苦しみ
支援者が何を伝えたいのか
なかなか伝わらない
伝わったとしても、どこか素気なく
うわの空ということになりがちで
本当の意味では伝わっていない(響いていない)
のではないかと思わざるを得ません
精神疾患の治癒には
本人の病識が不可欠です
昨今では「外在化」をキーワードに
病気と向き合うことを求めます
ところが、実際にそれが出来る人はごくわずか
薬物療法中心の治療の中では
統合失調症に至っては7割を越える人が
再発してしまいます
オープンダイアローグでは
統合失調症患者の再発率は2割程度
まさに奇跡の治療法とも呼ぶべき数字です
自らの病気のこと、治療法、人生のこと・・・
目の前で議論されるうちに
自然と「外在化」出来るのかもしれません
ファシリテーターがうまくその場を回し
家族や支援者などの話を適度に引き出すことで
自分の噂話を目の前でされている状況に近くなるそうで
そりゃあ、いやでも耳に入ってきて
自分で考えなけりゃならないわけで
家族がどんなことで悩んでいるのかも
素直に響いてくるのかもしれません
では
この「オープンダイアローグ」が
日本で広まるためには何が必要なのか?
医療、福祉のスタッフの意識改革
だけのような気がします
医師は、大病院でどかんと椅子に座り
2週に1回。5分の診察で薬を出すような
今の診療方法を見直し
「現場」に足を向けるということ
制度的にはそれでも食べていける医療制度が必要です
福祉の側も本人とのかかわり、家族とのかかわりを見直し
ともすれば、家族との分離が支援や治療に役立つという考えも
ケースバイケースで見直していく必要があるでしょう
精神を病んでいる人に
ある意味、現実を突き付けるわけですから
わきまえなのかテクニックなのか、気遣いなのかは必要でしょう
重要とされるのはクライアントとの間の言葉のキャッチボール
クライアントの言葉をすべて受け止め、きちんと返す
クライアントの重要な訴えをスルーしない
これがなかなか難しい
果たして、今の日本の福祉現場で
これだけのことを実践できる人はどれだけいるでしょうか
もちろん、志して勉強に勉強を重ね
就職する人も多いですが
報酬の安さなどから
やりがい搾取などと言われ
優秀な人はどんどん転職していき
比較的想いの強い人だけが残る状況なのに
福祉は、いつしか
一般企業でうまくいかなかった人、
失業した人の受け皿としての機能を求められ
高齢者介護の現場でうまくいかなかった人の受け皿にもなり
実際のところ
想いの強い人とそうでない人の温度差は激しく
実動出来る人には限りがあり
正直マンパワーが不足しています
オープンダイアローグの日本導入には
かなりのハードルがあると感じています
しかし
今まで7割、8割が再発し
再発が当たり前と言われた精神疾患で
再発率2割
8割もの人が職場や学校へ復帰している
そんな数字を目の当たりにすると
すぐにでも導入していきたくなります
想いがなくては出来ないが
想いだけでも難しい
しっかりと学び、理解して実践する
現状では、論文など読んでも正直難しいから
研修や事例検討などを通して
整理していくことになるのでしょうが
日々の業務に追われていてはなかなか難しい
それでも、
薬も減らせて、病院、病床も減らせるし
多くの人の利益になるなら
国をあげて取り組んでもいいのではないでしょうか?
「オープンダイアローグ」
精神医療の新しい波が日本に到達する日は
もう、すぐそこまで来ているのかもしれません。
微笑みをあなたに・・・
日本人はインドのことよりも、
日本のなかで貧しい人々への配慮を
優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります。
マザー・テレサの言葉ですね
常々思っていました
実は僕らのすぐそばに、助けを待っている人がいる
NGO活動や国際協力なども素晴らしいことだとは思いますが
(個人的には寄付もしていますが・・・)
今、日本国の中の日本人が困っている
手を差し伸べてもらうのを待っている人がいるのです
世界平和のために自分に何が出来るか?と問われ
家に帰って家族を愛してあげてください
と答えています
まず、家族という小さなコミュニティを平和に
安心、安全で笑顔あふれる居場所に
そして、周囲を見渡し、自分に出来ることを考える
「微笑みかける」ことを大切にしていたようです
今、世界中で食べ物に対する飢餓よりも
愛情に対する飢餓の方が圧倒的に多く深刻です
まず、微笑みかけて、愛情を向ける
たったそれだけのことが難しい時代になってしまっている
飽食の時代に愛が枯渇している
なんとも皮肉な現状に
子どもの貧困率の高まりはとどまることがなく
精神病院には、病気が落ち着いていても
さまざまな理由から退院出来ずにいる人も少なくありません
ほんのわずかな支援があれば
普通に地域で暮らせる人が一体何人いることでしょうか
病院だけじゃありません
少年院や刑務所などの矯正施設も、
ここでしか暮らせないと思い込んだり
こういう生き方しか出来ないと決め込んで
あるいは周囲のそそのかしに乗せられて
何度も何度も犯罪に手を染め
外に出てはまた戻ることを繰り返す累犯者が多いです
彼らの中には障がいのある人も多くいて
適切な支援さえあれば、
そんな生活から抜け出せる人もたくさんいます
1人の人をずっと入院させ続ける医療費もそうですが
一人が事件を起こし、拘置され、弁護士がつき
裁判が開かれ、矯正施設に入り、2年、3年と生活する
その費用を考えても
地域で受け入れ、適切な支援のもとに
社会に貢献する生活を担っていただく方がどれだけ経済的か
しかし、福祉予算は医療の20分の1とも言われ
障がい者支援の予算は高齢者のそれよりはるかに小さい
「目の前のたった1人を幸せに出来ないで何が福祉だ」と
現場現場で必死に活動する人がいても
文字通り目の前のほんの数人、多くても数十人のことで
手一杯になってしまうのです
あたたかい眼差しを向けてくれるだけで
どんなに心強いことか・・・
愛を込めて微笑んでください
ただそれだけで救われる人がきっといます
世界に目を向けることを否定はしません
でも、あなたのすぐそばに助けを待っている人がいる
それだけは忘れないでほしい
周囲に目を向け、微笑みかける
そして、手を伸ばす・・・
あなたの微笑みがたくさんの人を幸せにするのです
あなたに出会った人がみな、
最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて
人に接しなさい。
あなたの愛が表情や眼差し、
微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです。
依存症対応施設の必要性とそのあり方
依存症を1つの障がいだと考えると
治らない、もしくは治りにくいモノとして
そのままで不自由なく暮らすことを大前提に
基本「自由」なグループホームでは
本人の意思に左右されるわけで
このやり方だと、なかなかうまくいかない
依存症を病気と捉え
「治療」に重点を置こうとすると
病院のように管理を強化していくしかなく
今のグループホームの自由さは大きなネックになります
依存症の方が
病院や矯正施設内で改心して
地域に戻ってくるとやっぱりまた手を出してしまう
ということはありがちで
家族はこの繰り返しに失望し、
絶望の中で当事者を責め立ててしまうわけです
その家族に、いくら家族の理解が必要だと説いても
なかなか納得感がないのが現実でしょう
これは、依存症の特徴である
「手に入らない状況下では欲しくなくなる」
という点が大きく影響しています
彼らは嘘をついたわけではないのです
病院や矯正施設の管理下では
本当に欲しくなかったのです
本当に欲しくないので、その言葉は本気です
本当にやめようと思うし、もうしないと誓えるのです
現在の病院の治療では
さまざまなプログラムや薬物治療、精神療法等を進めていく中で
しっかり自分の病気や生活を振り返ることが出来て
なおかつ「自分の口で、本心から手を出さない」と言えば
内科的な疾病が無く、精神症状も落ち着いてしまえば
だいたい退院出来てしまうものだと思います
で、管理下から離れ、外に出た途端に
また、手に入れてしまうのです
水よりも安くアルコールが手に入り
コンビニにもだいたいアルコールは置いてありますよね
駅前にはパチンコ屋が乱立し
ケータイで簡単に出会い系にアクセスできます
違法薬物も本気で手に入れたければ、わりと簡単に手に入るわけで
そんな依存症大国日本では
病院や矯正施設の管理下で「もうやめる」と決めていても
本当にやめるのは難しいのが現状です
グループホームでは、その自由さゆえ
抑えきれないとうすうす分かっていても、受け入れます
受け入れた以上は本気で向き合い
彼らの「衝動」が湧きおこるまでに何とか人間関係を作ることで
飛び出しても戻ってきてもらえるように
意識を繋ぎとめるので精一杯です
コミュニケーションが難しく
人間関係が出来ないうちに飛び出されることも多々あります
もちろん、グループホームに入ることで、
心の中のさみしさがほんの少し解消され
ストンと落ち着いて生活出来るようになる人もいます
しかし、落ち着いて定着出来る人は多くはありません
そこで、最近考えているのは
「依存症対応の施設」があればいいのになぁということ
グループホームほど自由ではなく、
病院ほど管理しない施設
海外では病院未満の「治療共同体」というモノがあります
日本でもさまざまなミーティングがあったり
DARCやMACなどの共同体とも言うべき共同生活の中で
さまざまな「プログラム」や「当事者の連帯感」を通して
治療につなげようということはしていますが
最近の「治療共同体」のような取り組みはほとんどありません
DARCなんかも基本は自由意志次第で
がっつり「管理」をするわけではないはずです
行政の人と話していても
「管理強化型のグループホーム」となると
現行の支援法のグループホームの枠組みの中ではなかなか難しく、
正直なところ、現実味はないとのことでした
それは障がいがあってもみんなと変わらず生活できるように
自分らしく自由に生活できるようにという発想が
理想とされているからです
日本同様依存症大国と言われ、
その対策でも先進国と言われるアメリカでは
「治療共同体」の1つの形として
入居者を階層的に管理し、施設内のあらゆる仕事を
「責務」として与え、その「報酬」として「自由」を提供する
という施設があります
「責務を果たせば報酬が得られる」という当たり前のことを
その意識の中に叩き込むと言うのです
入居当初は全く外出が許されず
先輩入居者の指導のもとに仕事を覚え、少しずつ階層をあがっていくと
次第に月に1度の外出が許され、週ごとになり
最後は週末ごとに外泊出来るまでになっていく
仕事も次第に重い責任を果たすようになっていくため
依存対象のモノ以外に、
日々の仕事の中で「生きがい」を見つける術を身につけていくのです
その施設を出るころには就労意欲も出て自信も手にしています
施設内で無償で働くことだったり、
最初に「自由」を与えないことだったり
たぶん、そのまま日本に持ち込んでも課題だらけでしょうが
病院には出来ない部分、グループホームには出来ない部分を
新たな中間的施設が存在することで補えるかもしれない
その可能性は感じます
関東の方では
寄付を集めて?この「治療共同体」の
1つの形を模索し始めた施設があるようですが
どのような形態でやっているのか興味津々です
福岡でも
何か新たな取り組みを始めたいところですが
グループホーム単体でやっているさいかいの影響力なんて微々たるもので
なかなか難しいところなので
ひとまずは、現行の制度の中で
「グループホームとして」何ができるのか?
しっかり考えていきたいと思います